2015年6月22日月曜日

マテオ

マテオとは、主人と前妻の息子。
5年前に、19歳のときに亡くなった。
交通事故で。
当時、主人はかなりリッチで、ポルシェが数台、他にも高級車を何台か所有。息子にも誰もがうらやむようなスポーツカーを購入。
そのスポーツカーをマテオの友人が運転、マテオは助手席で。
夜中ものすごいスピードを出していたらしく。
マテオは即死。友人はほぼ無傷。

マテオは、18になった誕生日に、パパと住むことを選び、ママと住んでいたミラノから離れ、この家に引っ越してきた。

ちなみに、私は、マテオが亡くなったあとに、主人と知り合ったから、マテオのことは
実際は知らない。でも、とても近く感じる。
知り合った当時、マテオを亡くした主人の心の痛みを私も感じていたからか。

マテオについては、親戚、我が家にいたお手伝いさんたちに聞いても、みんな口を揃えて、とても礼儀正しく、恥ずかしがりやだったと。そしてとてもハンサム。

何故、マテオのことを書きたくなったかというと。

先月、ある晩、マテオのことを主人と話していて、主人とマテオの形見が入っている大事な箱、当時使っていた財布や、指輪などを見ながら、マテオの話しを聞いていた。そのときに、いくつかある指輪のうち、1つを私にはめていてほしいと。
私には少しごつい指輪だけど、その日以来、お守りのようにはめている。

不思議だけど、それから少ししてから、去年からずっと悩まされていた主人の目眩が、急になくなった。偶然かもしれないけど、マテオが私たちを守ってくれていると、主人が、そして主人と私が未来のために前進するために力を貸してくれているような気がしてならない。

マテオの親友たちは、今でも時々、我が家に食事にくる。1ヶ月程前にも来た。
若者たちだから、たくさんのパスタや他にも美味しいものを作り。
直接マテオを知らない私は、マテオの親友たち、そして彼らと主人の会話から、マテオを感じる。

主人は、最近マテオのページをFacebook上に作った。それは、マテオの思い出のために。
もちろん、息子を亡くした、彼の悲しさ、寂しさ、やりきれなさは、亡くなった当時から変わらないけど、それでも、今は、主人自身、前を向いて生きている。生きれるようになった。というか、生きている限り、前を向くしかない。
マテオが亡くなったことを思い出し、悲しむのではなく、自分が前に進むためにマテオのページを作ったんだと思う。そして、たくさんの人に思い出してもらいたくて。又、マテオを知らない人にも、自分の誇りであるマテオの存在を見てもらいたくて。でも、なかなか、マテオのページを見てくれる人達はいないみたい。
ここで、Facebookのアドレスを載せるかは、今は決めかねるので、またいずれ。


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